新茶摘みの季節、我々は静岡県中部を歩いた。まずは、ふじのくに茶の都ミュージアムを訪れた。茶を知るための必要な情報が、そこにはあった。
生葉はすぐに加熱すれば緑茶、少したってから加熱すると青茶(ウーロン茶)、長い時間を置いてから加熱すると紅茶となり、それらはそれぞれ酸化による発酵度の低さ・高さに対応している。
茶の原産地の雲南から世界に広がった茶は、野菜が不足するモンゴルでは固形茶を煮出して、山羊のミルクを加えた乳茶の習慣を生み、タイやミャンマーでは、漬物として食べられるようになるなど、各地で茶をめぐる多様な飲食文化を生んだ。
日本には、鎌倉時代の禅僧・栄西によってもたらされ、その後、中国の喫茶習慣の影響を受けながら、独自の発展を遂げてきたのである・・・・・・
今回我々が、特に焦点をあてたのは、世界農業遺産にも登録された、静岡県に見られる「茶草場農法(ちゃぐさばのうほう)」である。茶草場とは、ススキやササなどの草が、人の手によって管理されている草地のことである。
刈り取ったそれらの草を茶畑の畝間に敷くことで、茶園の保温・保湿につながり、土中の微生物を繁殖させて土壌改良を促進し、雑草の繁茂を抑制するなどの効果があるとされる。そのことで、茶の香りや味を高めることにもなるという。
毎秋、茶草場の草刈りが行われ、そこに生息する植物にも光が届くのである。そして、そのことにより、茶草場は植物だけでなく、虫や動物などを含め、多様な生命が息づく場となりえている。つまり、人の手で茶草場が管理されることによって、人にとって高品質の茶とその文化が生み出されるだけでなく、多種(マルチスピーシーズ)の生もまた可能となってきたのである。
我々は、そうした静岡中部における、モア・ザン・ヒューマン(人間以上)のマルチスピーシーズな世界についてあれこれ語り合いながら、往復2時間かけて、掛川市の東山地区の粟ヶ岳を登り降りた(登りは、けっこうきつかった)。
その後、静岡県立中央図書館にも立ち寄って、文献資料を調べて、東京に戻った。