【第10回フィールドワーク】2022年6月 奈良と大台ケ原で、シカと人間と森を探る

春日山原始林は、平安期に狩猟が禁じられた後に、春日大社の神域として保護されてきた森である。我々は、小雨振るその森をガイドしてもらった。シカはモミやカヤなどの針葉樹林の幼木を好んで食べるため、地表には低木や草花が育たなくなり、雨により表土が流出するという。他方、シカはナンキンハゼやイラクサなどは食べないため、それらが一面にわたって生い茂っていた。シカは、ここでは落ち葉も食べるという。

春日大社は、山の木が枯れると「山木枯槁(さんもくここう)」の神事を行っていたという。その記録からは、ナラ枯れやオオカミのことなどが読み取れるという。一つの面白い話を聞いた。「フジの原」という名の藤原氏は、フジの伐採を禁じたという。それは、ある種のトーテミズムだ。その文化が、自然に影響を及ぼした。フジの幹は巻きついた樹木の幹を締め付けて枯死させるため、そこでは、他の樹木の生長が阻害される。

草花や木々、シカや野鳥などの多種が暮らしているこの自然豊かな森を未来にも残していくためには、確かに、自然の仕組みを知り守り育てていくことが大事なことであるのかもしれない。その観点からは、シカの愛護や保護のみを謳う立場では不十分だと思えるに違いない。シカを重んじるあまり、シカの食害などは顧みられることがないからである。同時に、そもそも、私たち人間が森の管理を引き受ける立場にいるとは、いかなることなのかとも思う。それは、賢明なホモ属たる人間の使命、あるいは人間による環境破壊への償いなのか?

そんなことを考えながら、我々は鹿苑の子鹿公開会場を訪ねた。そこでは、人間はシカの<現存在>の愛護を考え、行なっているように思えた。鹿愛護会は、シカと人間が共存して暮らしていくための環境づくりに力を入れている。出産を控えた母鹿を保護し、生まれた子鹿を一般公開するのに応じて、人々は子鹿を愛でるのだ。人間とシカの共生が、専ら人間の観点からなされているのではないかと思われた。

子鹿公開会場に併設する奈良のシカの生態と歴史に関する展示場で、シカの糞から作られた堆肥しかっぴの試供品をもらい、そぞろ歩きをしながら向かった東大寺の参道では、密に固まって、シカと戯れている修学旅行生たちに出くわした。東大寺では、天平の御代に造立され、「一即多、多即一」を説く華厳思想の具現たる廬舎那仏という宇宙仏の前に、暫し現代の時空を超えて佇んだ。ちっぽけなこの私は宇宙たる仏であり、同時に、この大きな仏が私なのだ。

世界に存在するあらゆるものはそれぞれの連関の上で秩序ある世界を形成しているという教えは、動物や植物も人間もすべてがつながっており、「一枝の草、ひとにぎりの土」への助援を唱えた聖武天皇の考えにも結びついている。そうした考えは、奈良の地で広く行われてきた人とシカの暮らしに少なからず影響を及ぼしてきたのではなかったか。さらに、7壇から成る立体曼荼羅・頭塔を訪ね、我々は、この地に仏教思想が深く根付いていることを知った。

 

大台ケ原山では、その一角、東大台を案内してもらった。森に入ると、ミヤコザサとスズタケが一面に広がっていた。シカが食べないからである。ミヤマシキミも有毒で、やはりシカが食べないために多いという。

大台ケ原に人が入り始めたのは今から100年ほど前のことらしい。その後、森は急激に変化しているという。1959年の伊勢湾台風により樹木が倒れ、林冠が開かれ、ミヤコザサが繁茂するようになると、シカにとって好適な生息環境となった。増加したシカによって後継樹が食べられ、樹皮が剥がされるようになり、周辺地域の森林伐採とも相俟って、下層植生のみが進行し、森林の植生が単純化するとともに、豊富な餌があるため、シカの数がますます増加した。大台ケ原ドライヴウェイの開通(1961年)によって、その地には多くの人間が入り込み、人間による森林生態への影響が大きくなった。森はますます衰退する傾向にあるという。

増える一方のシカ、衰える森。ここでも、森を保全するための活動が行なわれている。針葉樹林の幹には、シカが剥がすのを防ぐためのネットが張られていたのが印象的だった。

ニホンオオカミは1930年代までいたという口伝を聞いた。「オオカミ落とし」という猟法は興味深い。オオカミがシカを食べているところに岩塩を撒くと、オオカミが塩をなめに来たので、その間に獲物を奪い取ったというのだ。紀州の山と森に関わる人の歴史の話もとても興味深い。鎌倉時代に東から来た一族、戦国時代に大坂の戦いに敗れた残党たちの物語、川の民の行き交う山の道など、時間の尺度がここではとても長い。中世から現代までが、奈良ではなだらかに繋がっているだけでなく、現代にも中世人や近代人が生きているような気がした。

60有余年前に自然破壊された森の植生に生きる場を見い出したシカの個体数が急増することにより、いままさに消えてゆく森に立ち会っている、という現実がある。樹木は立ち枯れ、シカの好む草花のみが繫栄する。その現実に積極的に介在し、人の手を加え、森を再生することが必要なことではないかという理想が、志ある人たちの努力によって、実践的に追求されてきている。

西大台のシカは、奈良市内のシカのように人なれしていないようだった。一頭のオスジカが、遠くから我々のほうを窺っているように思われた。

絶滅したニホンオオカミに関しては、東吉野の鷲家口で、1905年に最後のニホンオオカミが捕獲されたとされる。その場に建てられたニホンオオカミの像を訪ね、その隣に建てられた「狼は亡び 木霊ハ存ふる (オオカミはほろび、もくれいはながらふる)」という句碑の前に佇んで、しばし考え込んだ。オオカミは滅んだが、木の霊はいまだに存続しつづけているという自然と宇宙の秩序の大きさ、恒久性を読んだものではなかったか。

大宇陀経由で奈良市内に向かった我々は、『つち式』『人類堆肥化計画』のことを思い出し、著者の住まいをふいに訪ねてみた。彼は、ちょうど農作業から帰って来るところだった。彼の田んぼに行くと、某人類学者は田植えをしているところだった。彼らは、全日本棍棒協会の棍棒ゲームで突然の珍客をもてなしてくれたのであった。

 

 

 

 



第23回読書会 シドニー・W・ミンツ『甘さと権力』を読む

日時:2022年9月15日(木)20:00~ 
形式:zoom

シドニー・W・ミンツ著(川北稔・和田光弘訳)『甘さと権力:砂糖が語る近代史』ちくま学芸文庫(2021年)を読みます。

本を読んだ人であれば、どなたでも参加できます(無料)。

zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、9月13日までに

hosakanorihisa@gmail.com
5057125@rikkyo.ac.jp

までリクエストしてください。
開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。

 甘さと権力 シドニー・W・ミンツ(本文) - 筑摩書房 | 版元ドットコム

 

第22回読書会 Sarah Besky The Darjeeling Distinction: Labor and Justice on Fair-Trade Tea Plantations in Indiaを読む

日時(変更):2022年7月24日(日)13:00~16:00
       
2022年7月17日(日)14:00~17:00
形式:対面(立教大学・池袋キャンパス)およびzoomの併用

インドの紅茶プランテーションを扱った、人類学者Sarah Besky の民族誌The Darjeeling Distinction Labor and Justice on Fair-Trade Tea Plantations in India, 2013, University of California Press.を読みます。

ファシリテータ 張威(立教大学大学院)
 
本を読んだ人であれば、どなたでも参加できます(無料)。
日本語読解補助資料が必要な場合には、申し出てもらえれば、お渡しできます。

zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、7月1522日までに

hosakanorihisa@gmail.com
5057125@rikkyo.ac.jp

までリクエストしてください。
開催場所をお知らせします。
必要であれば、開催時間前に、zoomのURLを指定のメールアドレスに送ります。

 The Darjeeling Distinction by Sarah Besky

 

第21回読書会  二神恭一ほか『シルクはどのようにして世界に広まったのか』を読む

日時:2022年7月4日(月)20:00~
形式:zoom

二神恭一、二神常爾、二神枝保著 『シルクはどのようにして世界に広まったのか』八千代出版(2020年)を読みます。

ファシリテータ 張威(立教大学大学院)
 
本を読んだ人であれば、どなたでも参加できます(無料)。

zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、7月2日までに

hosakanorihisa@gmail.com
5057125@rikkyo.ac.jp

までリクエストしてください。
開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。

 

【第9回フィールドワーク】2022年6月 ハイブリッドコミュニティーとしての魚つき林を歩く

「ハイブリッド・コミュニティー」とは、シャルル・ステパノフらによって唱えられた、マルチスピーシーズ人類学の概念枠組みである。それは、共有された場における、人間、植物と動物の間の長期にわたる多種の連携の形式のことである。

共有された場や共通の生息地そのものでさえも不動の背景ではなく、人間や動植物や大地や水や大気がとともに絡まり合って変動しつづけるダイナミックなありようを捕まえようとする。

南シベリアのトゥバの「アアル・コダン(生きる場所)」というハイブリッド・コミュニティーでは、家族と家畜がともに暮らしている。そこでは、すべての要素が相互に依存しあっていて、人間による精霊に対する過ちが家畜に病気をもたらし、ヤクの供犠はアアル・コダン全体に繁栄と健康をもたらすとされる。

港千尋著『風景論』に出てくる「魚つき林」の記述を読み、魚つき林は日本の「ハイブリッド・コミュニティー」ではないかと思いついた我々は、真鶴の「魚つき保安林」、通称お林に出かけた。

 

真鶴港近くの食事処で魚料理を食した我々は、最近は潮の関係で魚があまり獲れないが、このあたりでは、古くから森の養分が海に流れ込み、おいしい魚が獲れるのだと聞いた。その後、お林展望公園から遊歩道の照葉樹林の森を歩いた。

 

江戸時代中期に小田原藩の命で15万本のクロマツが植樹され、明治期には御料林となり、真鶴町に払い下げられた後に、魚を育む森として保全され、今日でもクロマツやクスノキの大木が生い茂っている。大きな木が残っているのが印象的だった。お林を抜けると、番場が浦に辿り着いた。

約15万年前に噴出した溶岩によって作られたとされる真鶴半島を行けるところまで行くことにした我々は、「うしのくそ」周辺まで歩いた。その後、遠藤貝類博物館付属のジオパークの展示を見学し、最後に、山の神社に立ち寄った。平成11年に建て替えられた時に建立された石碑には、「古くから魚付保安林の守り神として漁業者が大漁祈願をしてきた山の神社であるが・・・」とあった。

漁業者がお林の守り神に大漁祈願を祈るというのは、海と山林が切り分けられたものだと考える我々の精神性から見ると奇妙に見えるかもしれないが、その二つは、もともと切り分けられることなく存在していたのではないかということを、そこで改めて想像した。

魚、人間、木々、様々な動植物たちは、共通の場としての森と海で、森と海をも変動させながら絡まり合って、生と死を紡いできたのではなかったか。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

エドワード・ポズネット『不自然な自然の恵み』を読む

日時:2024年6月21日(金)20:00~  形式:zoom   エドワード・ポズネット『不自然な自然の恵み 7つの天然素材をめぐる奇妙な冒険』桐谷知未訳、みすず書房(2023年)を読みます。 本を読んだ人であれば、どなたでも参加できます(無料)。 氏名・所属・関心を明記の上、...