日時:2023年1月6日(金)20:00~
形式:zoom
エマヌエーレ・コッチャ『植物の生の哲学――混合の形而上学』嶋崎正樹訳、山内志郎解説、勁草書房(2019年)を読みます。
本を読んだ人であれば、どなたでも参加できます(無料)。
zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、1月4日までに
までリクエストしてください。
開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。
研究者、大学(院)生、実践家など、異業種・異分野を背景とする人たちが集い、人新世の時代の環境危機およびその関連の人類学、存在論の人類学やマルチスピーシーズ人類学、その他の人文学の書籍や論文などを読んで意見・情報を交換し、思索を深めていくために設けられた、ボランタリーな研究共異体です(In-Pro Gath[日本列島人新世調査研究共異体]改め)。自主参加制によりフィールドワークを行うこともあります。共同代表者:保坂昇寿(写真家)・奥野克巳(人類学者)・張威(大学院生)
日時:2023年1月6日(金)20:00~
形式:zoom
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までリクエストしてください。
開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。
我々調査隊は、ふたたび静岡県に出かけた。東京方面からの交通渋滞が激しく、幾つかの計画の変更を余儀なくされたが、まずは、清水港近くのフェルケール博物館を訪れた。1906年に茶の海外輸出のために開かれた清水港とその関連の展示が印象的だった。輸出用茶箱のラベルの展示には、釘付けされた。
JR草薙駅前で開かれていた新人Hソケリッサの野外公演とトークにも立ち寄った。「周辺化」されている路上生活者とパフォーマンスをつうじた演者の「中心化」、あるいは「閉じられた」空間におけるダンス展示と「開かれた」場所での生との連続線上のダンスという、二つの相容れない要素の間の「両行」的な課題設定が感じられ、非常に迫力のあるパフォーマンスだった。
静岡県には、東から安倍川、大井川、天竜川の川が北から南に流れている。今回は大井川をターゲットとして歩いてみた。牧之原平地には、大茶園が広がっていた。下流から川根本町にかけて放棄された茶園が散見された。
我々の課題は、茶業というモノカルチャーが、後継者不足や価格の低迷などの要因によって一部で持続が困難になり、茶畑が放棄された後に、野生の動植物がどのように入り込んできて増殖し、自然が新たにどのようにリメイクされてきたのか、また荒れた自然につぎ込まれる人間の再生努力によって生み出される「何か」を探るための手がかりを得ることだった。我々は、こうした問いを、フェラル(野良化)をめぐる問題系と呼んでいる。
それは、人類学者アナ・チンらによって提唱されている研究手法と枠組みである。アナ・チンらは、人間が作り出した構造物や観念という媒介項を経て、自然がどのように捻じ曲げられて人に支配されるようになるのか、逆に、人間がその構造物や観念を放り出した時に、自然に何が起きるのかという視点から、人間と非人間の「世界制作」を探ろうとする(詳細は、『思想』2022年10月号、「人間以上にリメイクされる自然――『マツタケ』以後のアナ・チン、フェラルなものの人類学」参照)。
フェラルに関して、調査隊のメンバーの一人は、以前、放棄された茶園を歩いていて、キジやタヌキなどの野生生物を見かけたことがあると語った。人間の側のフェラルの再利用に関しては今回十分に探ることはできなかったが、幸い我々は、行政の暖かい協力を得て、大井川流域における茶業の現在に関する大まかな見取り図を得ることができた。大井川の上流の長島ダムでは、ダムの水の管理が下流域の茶産業の維持と発展に大きな役割を果たしてきたことも分かった。
日時:2022年12月23日(金)20:00~
形式:zoom
zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、12月19日までに
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開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。
日時:2022年12月9日(金)20:00~
形式:zoom
zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、12月5日までに
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開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。
日時:2022年11月25日(金)20:00~
形式:zoom
zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、お申し込みください(先着10名)。
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開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。
日時:2022年11月11日(金)20:00~
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氏名・所属・関心を明記の上、11月4日までに
hosakanorihisa@gmail.com
20vv007b@rikkyo.ac.jp
までリクエストしてください。
開催時間前に、Zoom URLを指定のメールアドレスに送ります。
10月14日(金)時点で定員に達しましたので、募集を締め切ります。
日時:2022年10月28日(金)20:00~
形式:zoom
日時:2022年10月20日(木)20:00~
形式:zoom
zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、10月18日までに
hosakanorihisa@gmail.com
5057125@rikkyo.ac.jp
までリクエストしてください。
開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。
日時:2022年10月7日(金)20:00~
形式:zoom
zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、10月5日までに
hosakanorihisa@gmail.com
5057125@rikkyo.ac.jp
までリクエストしてください。
開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。
2020年初に始まったCovid-19の世界的な流行のためしばらく行くことができないでいたが、マレーシアにおける感染者数が下火になったことと、それゆえの旅行規制緩和措置を踏まえて、2022年8月に3年ぶりで、マレーシア・サラワク州の狩猟民プナンのフィールドを訪ねた。ちょうどその1年ほど前から、こちらも世界的に流行していた豚熱ウイルスの影響で、フィールドとその周辺地で、プナンに食糧として最も好まれるイノシシが死滅していた。今ではイノシシが食べられないことのほうが、彼らにとっては、おおごとのようだった。
プナンの居住地に着くと、若者たちに「おまえ、日本の映画スター、スギオノ爺さんって知ってるか?」と尋ねられた。知らなかった。高齢のポルノスター・スギオノが今、インドネシアやマレーシアの地下で大流行りなのだ。
驚いたのは、1年くらい前から、プナンの居住地に無料で電気とWi-Fiが来ていたことだった。彼らは3万円程度のスマホを買って、いつでも充電ができるので、Wi-Fiに接続して、エロ動画を見ていた。
Whatsappに登録し、頻繁にボイスメッセージのやり取りもしていた。ただ、上述した豚熱コレラやイノシシの死滅などの情報には一切アクセスしておらず、プナンはだいたい、イノシシはCovid-19にやられたと語った。
これまた驚いたことに、300人くらいの居住地に約10台の4輪駆動車があった。アブラヤシ企業がどんどんと新たな農園を開発しており、企業の計らいで、プナンは車を手に入れたのだった。アブラヤシ企業にとっては、遠方から働き手を連れてくるより、周辺地に住んでいるプナンたちを労働者として組織するのが、最も効率的だと考えたのだろうか。プナンは、車で賃労働の現場に通い、Wi-Fiに接続して、スマホでやり取りをし始めていた。
しばらくの間、アブラヤシのプランテーションの中に小屋を建てて、プナンとともに狩猟と漁撈の暮らしをした。ある月夜の晩に、小屋の中で、天空移住の神話が語られた。意味合いが今一つ分からなかった。次の夜は、ひどい雷雨だった。神話のことを考えていたら、プナンのアニミズムの完成形が語られているように思われた。3年ぶりのプナン行を含めて、『アートコレクターズ』No.163, 2022年10月号に「天空のかなたのマディン ボルネオ島のプナン、アニミズムの完成態」という題で、そのことを寄稿した。
日時:2022年9月30日(金)20:00~
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人新世の時代の<蚕>と<桑>と<人間>の絡まり合いというマルチスピーシーズ人類学的なテーマが、今回のフィールドワークの主題になるはずだったが、<桑>に関しては、数日動き回るだけでは、そのとっかかりにすら達することができなかった。・・・というややネガティブな書き出しで今回は始めざるを得ないが、今回のフィールドワークにおける最大の発見は、生糸の生産のために人間の作り出した<インフラストラクチャー>を介して、蚕の一種が、「自然界にはどこにも存在しないカイコガ(家蚕)」という種となったことである。いまから6000年ほど前の中国で、人間による蚕の「利用」が開始された。その後今日に至るまでに、桑の葉を食べることに専念する1齢から5齢までの間は、眼が退化してしまった<蚕>は、蛹から孵化した後に、今度は食べる必要がないため口がなくなり、羽があっても飛べなくなってしまったのである。蛹が繭に包まれている間に、「殺蛹」した上で、人間はこっそりと、いや堂々と糸を取る。
<富岡製糸場>が開かれた後、玄武岩が堆積した場所で、風穴の冷風を利用して蚕種を貯蔵する施設としての<荒船風穴>が開かれている。そこには、カイコガが紙に上に生みつけた<種紙>が保存された。冷風保存することで、孵化を遅らせたり、その時期を調整することで、それまでは年一回であった養蚕を複数回化することが可能になったのである。
また農家に繭の生産を促すために、近代的な養蚕法「清温育」を広めるための教育が、1884年に、高山長五郎によって、<高山社>で行われるようになった。それより少し前の1871年には、明治天皇の皇后が、蚕室で「長らく途絶えていた」とされる「ご養蚕」を再興している。養蚕の儀は、国民の養蚕の関与への意識を高めたように思われる。このようにして、人造の<インフラストラクチャー>が整えられ、日本は生糸の輸出を次第に増大させていった。昭和4年(1929年)にはそれは、史上最大の年間3万5千トンに達している。
養蚕をめぐるこうしたトピックは、アナ・チンらが進めている<フェラル・ダイナミクス>というフレームワークにおいて捉え直すことができるのではないか。我々はそういう予測のもと、朝から深夜まで、彼女がその発想に至るまでの重要な軌跡を示した論文を一文一文訳出しながら、検討を加えた。その論文では、「復活する完新世」「増殖する人新世」という概念のもとに、フェラルへ至る道が論じられている。その検討の合間を縫って我々は、安政6年(1859年)の横浜開港により、八王子から横浜へ至る、輸出用の生糸を運ぶ道となった、通称「絹の道」を歩き、絹の道資料館を見学した。
蛹を殺すことは糸を取るための重要なプロセスであり、そのことは人に「贖罪意識」を生む重要な要因であるということが予想されうる。我々は、そうした<人間>と<蚕>の間の「ふくらみ」の部分を考えるために、養蚕地域で紡がれてきた民間信仰を探ろうとする中で。神奈川県相模原市の蚕霊供養塔や横浜市泉区の蚕御神塔を訪ねてみた。後者の由来を説明する看板には、慶応2年(1866年)3月に霜害のために桑が枯れてしまい蚕を育てることができなくなり、蚕を地中に埋めてしまったことがあって、蚕の慰霊を行った旨が記されている。
さらに我々は、横浜のシルク博物館を訪ねた。繭から糸がどのように取れるのかを実際に体験することができた。また、ケンネル式繰糸機の展示では、巻き上げられていく糸によって繭の中から蛹の死体が透けて見え、徐々に剥き出しにされていくさまを見ることができた。<蚕>は<人間>によって飼われ、作り変えられ、自然界のどこにも存在しない<蚕>となった。逆に、<人間>は逆にそのことによってでしか、シルクを、シルク織物を手に入れることができなかったのである。
春日山原始林は、平安期に狩猟が禁じられた後に、春日大社の神域として保護されてきた森である。我々は、小雨振るその森をガイドしてもらった。シカはモミやカヤなどの針葉樹林の幼木を好んで食べるため、地表には低木や草花が育たなくなり、雨により表土が流出するという。他方、シカはナンキンハゼやイラクサなどは食べないため、それらが一面にわたって生い茂っていた。シカは、ここでは落ち葉も食べるという。
春日大社は、山の木が枯れると「山木枯槁(さんもくここう)」の神事を行っていたという。その記録からは、ナラ枯れやオオカミのことなどが読み取れるという。一つの面白い話を聞いた。「フジの原」という名の藤原氏は、フジの伐採を禁じたという。それは、ある種のトーテミズムだ。その文化が、自然に影響を及ぼした。フジの幹は巻きついた樹木の幹を締め付けて枯死させるため、そこでは、他の樹木の生長が阻害される。
草花や木々、シカや野鳥などの多種が暮らしているこの自然豊かな森を未来にも残していくためには、確かに、自然の仕組みを知り守り育てていくことが大事なことであるのかもしれない。その観点からは、シカの愛護や保護のみを謳う立場では不十分だと思えるに違いない。シカを重んじるあまり、シカの食害などは顧みられることがないからである。同時に、そもそも、私たち人間が森の管理を引き受ける立場にいるとは、いかなることなのかとも思う。それは、賢明なホモ属たる人間の使命、あるいは人間による環境破壊への償いなのか?
そんなことを考えながら、我々は鹿苑の子鹿公開会場を訪ねた。そこでは、人間はシカの<現存在>の愛護を考え、行なっているように思えた。鹿愛護会は、シカと人間が共存して暮らしていくための環境づくりに力を入れている。出産を控えた母鹿を保護し、生まれた子鹿を一般公開するのに応じて、人々は子鹿を愛でるのだ。人間とシカの共生が、専ら人間の観点からなされているのではないかと思われた。
子鹿公開会場に併設する奈良のシカの生態と歴史に関する展示場で、シカの糞から作られた堆肥しかっぴの試供品をもらい、そぞろ歩きをしながら向かった東大寺の参道では、密に固まって、シカと戯れている修学旅行生たちに出くわした。東大寺では、天平の御代に造立され、「一即多、多即一」を説く華厳思想の具現たる廬舎那仏という宇宙仏の前に、暫し現代の時空を超えて佇んだ。ちっぽけなこの私は宇宙たる仏であり、同時に、この大きな仏が私なのだ。
世界に存在するあらゆるものはそれぞれの連関の上で秩序ある世界を形成しているという教えは、動物や植物も人間もすべてがつながっており、「一枝の草、ひとにぎりの土」への助援を唱えた聖武天皇の考えにも結びついている。そうした考えは、奈良の地で広く行われてきた人とシカの暮らしに少なからず影響を及ぼしてきたのではなかったか。さらに、7壇から成る立体曼荼羅・頭塔を訪ね、我々は、この地に仏教思想が深く根付いていることを知った。
大台ケ原山では、その一角、東大台を案内してもらった。森に入ると、ミヤコザサとスズタケが一面に広がっていた。シカが食べないからである。ミヤマシキミも有毒で、やはりシカが食べないために多いという。
大台ケ原に人が入り始めたのは今から100年ほど前のことらしい。その後、森は急激に変化しているという。1959年の伊勢湾台風により樹木が倒れ、林冠が開かれ、ミヤコザサが繁茂するようになると、シカにとって好適な生息環境となった。増加したシカによって後継樹が食べられ、樹皮が剥がされるようになり、周辺地域の森林伐採とも相俟って、下層植生のみが進行し、森林の植生が単純化するとともに、豊富な餌があるため、シカの数がますます増加した。大台ケ原ドライヴウェイの開通(1961年)によって、その地には多くの人間が入り込み、人間による森林生態への影響が大きくなった。森はますます衰退する傾向にあるという。
増える一方のシカ、衰える森。ここでも、森を保全するための活動が行なわれている。針葉樹林の幹には、シカが剥がすのを防ぐためのネットが張られていたのが印象的だった。
ニホンオオカミは1930年代までいたという口伝を聞いた。「オオカミ落とし」という猟法は興味深い。オオカミがシカを食べているところに岩塩を撒くと、オオカミが塩をなめに来たので、その間に獲物を奪い取ったというのだ。紀州の山と森に関わる人の歴史の話もとても興味深い。鎌倉時代に東から来た一族、戦国時代に大坂の戦いに敗れた残党たちの物語、川の民の行き交う山の道など、時間の尺度がここではとても長い。中世から現代までが、奈良ではなだらかに繋がっているだけでなく、現代にも中世人や近代人が生きているような気がした。
60有余年前に自然破壊された森の植生に生きる場を見い出したシカの個体数が急増することにより、いままさに消えてゆく森に立ち会っている、という現実がある。樹木は立ち枯れ、シカの好む草花のみが繫栄する。その現実に積極的に介在し、人の手を加え、森を再生することが必要なことではないかという理想が、志ある人たちの努力によって、実践的に追求されてきている。
西大台のシカは、奈良市内のシカのように人なれしていないようだった。一頭のオスジカが、遠くから我々のほうを窺っているように思われた。
絶滅したニホンオオカミに関しては、東吉野の鷲家口で、1905年に最後のニホンオオカミが捕獲されたとされる。その場に建てられたニホンオオカミの像を訪ね、その隣に建てられた「狼は亡び 木霊ハ存ふる (オオカミはほろび、もくれいはながらふる)」という句碑の前に佇んで、しばし考え込んだ。オオカミは滅んだが、木の霊はいまだに存続しつづけているという自然と宇宙の秩序の大きさ、恒久性を読んだものではなかったか。
大宇陀経由で奈良市内に向かった我々は、『つち式』『人類堆肥化計画』のことを思い出し、著者の住まいをふいに訪ねてみた。彼は、ちょうど農作業から帰って来るところだった。彼の田んぼに行くと、某人類学者は田植えをしているところだった。彼らは、全日本棍棒協会の棍棒ゲームで突然の珍客をもてなしてくれたのであった。
日時:2022年9月15日(木)20:00~
形式:zoom
zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、9月13日までに
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5057125@rikkyo.ac.jp
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開催時間前に、指定のメールアドレスに送ります。
日時(変更):2022年7月24日(日)13:00~16:00
2022年7月17日(日)14:00~17:00
形式:対面(立教大学・池袋キャンパス)およびzoomの併用
zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、7月1522日までに
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5057125@rikkyo.ac.jp
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開催場所をお知らせします。
必要であれば、開催時間前に、zoomのURLを指定のメールアドレスに送ります。
日時:2022年7月4日(月)20:00~
形式:zoom
二神恭一、二神常爾、二神枝保著 『シルクはどのようにして世界に広まったのか』八千代出版(2020年)を読みます。
zoom URLは、氏名・所属・関心を明記の上、7月2日までに
hosakanorihisa@gmail.com
5057125@rikkyo.ac.jp
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「ハイブリッド・コミュニティー」とは、シャルル・ステパノフらによって唱えられた、マルチスピーシーズ人類学の概念枠組みである。それは、共有された場における、人間、植物と動物の間の長期にわたる多種の連携の形式のことである。
共有された場や共通の生息地そのものでさえも不動の背景ではなく、人間や動植物や大地や水や大気がとともに絡まり合って変動しつづけるダイナミックなありようを捕まえようとする。
南シベリアのトゥバの「アアル・コダン(生きる場所)」というハイブリッド・コミュニティーでは、家族と家畜がともに暮らしている。そこでは、すべての要素が相互に依存しあっていて、人間による精霊に対する過ちが家畜に病気をもたらし、ヤクの供犠はアアル・コダン全体に繁栄と健康をもたらすとされる。
港千尋著『風景論』に出てくる「魚つき林」の記述を読み、魚つき林は日本の「ハイブリッド・コミュニティー」ではないかと思いついた我々は、真鶴の「魚つき保安林」、通称お林に出かけた。
真鶴港近くの食事処で魚料理を食した我々は、最近は潮の関係で魚があまり獲れないが、このあたりでは、古くから森の養分が海に流れ込み、おいしい魚が獲れるのだと聞いた。その後、お林展望公園から遊歩道の照葉樹林の森を歩いた。
江戸時代中期に小田原藩の命で15万本のクロマツが植樹され、明治期には御料林となり、真鶴町に払い下げられた後に、魚を育む森として保全され、今日でもクロマツやクスノキの大木が生い茂っている。大きな木が残っているのが印象的だった。お林を抜けると、番場が浦に辿り着いた。
約15万年前に噴出した溶岩によって作られたとされる真鶴半島を行けるところまで行くことにした我々は、「うしのくそ」周辺まで歩いた。その後、遠藤貝類博物館付属のジオパークの展示を見学し、最後に、山の神社に立ち寄った。平成11年に建て替えられた時に建立された石碑には、「古くから魚付保安林の守り神として漁業者が大漁祈願をしてきた山の神社であるが・・・」とあった。
漁業者がお林の守り神に大漁祈願を祈るというのは、海と山林が切り分けられたものだと考える我々の精神性から見ると奇妙に見えるかもしれないが、その二つは、もともと切り分けられることなく存在していたのではないかということを、そこで改めて想像した。
魚、人間、木々、様々な動植物たちは、共通の場としての森と海で、森と海をも変動させながら絡まり合って、生と死を紡いできたのではなかったか。
日時:2025年1月20日(月)20:00~ 形式:zoom 岡本裕一朗『ポスト・ヒューマニズム テクノロジー時代の哲学入門』NHK出版新書(2023年)を読みます。 本を読んだ人であれば、どなたでも参加できます(無料)。 氏名・所属・関心を明記の上、1月18日(土)までに...