青森県立美術館を見学し、青森市のアスパム2階に設けられた「エネルギー館 あしたをおもう森」で、エネルギー立県青森が発する光を浴びて覚醒した、人類学者・写真家・マンガ家の3名から成る本調査研究共異体のメンバーは、翌朝のNHKニュースで、北海道・寿都町で、核のゴミの最終処分の文献調査に賛成する現町長が再選し、フランスではビュールが最終処分の精密調査の段階に進んだという話題を耳にした。
我々は青い森鉄道とJR大湊線を乗り継いで、途中虹が架かる穏やかな陸奥湾の景色を眺めながら、むつ市の下北駅に到着した。4WD車に乗り換えた我々は、大雨により土砂災害を警戒して通行止めになっている津軽海峡に面した下北半島の北側を通過するのを避け、陸奥湾に面した下北半島の南面を経由して、川内を目指した。川内からかもしかラインを進み、途中川内川渓谷のジオパーク内の大滝で車を降り、川の上に垂れる木々から落とされる木の実をついばんで魚が生命をつないでいるという生態系を説明する印象的な看板を目に留め、林の中を散策した。
車でふたたび出発した我々は途中、5頭のニホンザルが、餌をほおばっているところに遭遇した。
仏ヶ浦から佐井町を経由して、風力発電施設が林立する大間町に入り、大間原発建設地周辺を歩き、北通りの総合文化センターを視察した。
夜の雨が上がり、翌朝には通行止め区間が無事解除されたとの情報があり、翌日、津軽海峡を左に見ながら我々は、原子力船むつが展示されているむつ科学技術館を訪ねた。
動画では、デモクリトス以降の原子発見と研究の歴史が、ラボアジェ、ダルトン、ボーアと順に紹介され、20世紀には原子が利用されるまでになったという説明が興味深かった。猿ヶ森では、製鉄のため砂丘が掘られ、森林が伐採され、そうした人為的な影響によって砂丘の砂が移動して500年ほど前に形成されたとされるヒバ埋没林を散策した。
トントゥビレッジの3階の展望室からは、東北電力の2号機を眺めることができた。
太平洋に面した東通村は、陸奥湾や津軽海峡に比べて波が荒く、白波が立っていた。カモメの群れが魚を狙っているのか、河口に陣取っていた。餌を求めて、我々のすぐそばを低空飛行している鳥もいた。
翌朝、六ヶ所村に入った。
六ヶ所村の郷土館では、縄文期から弥生期にかけての遺物の展示と説明が充実していた。狩猟と農耕の併存、気候変動による移住と人口の変動などを知ることができた。その近隣の日本原燃PRセンターを訪ねた。
核燃サイクルに焦点があてられた模型展示は迫力があった。展望室からは、施設を眺めることができた。
我々は野辺地に到着し、翌朝八戸経由で東京に戻った。
その視察旅行中に会ったある知識人の方が、江戸時代に御料地となったこの地が、高度成長期以降様々な開発のターゲットとされ、人々の意志とは別に、政府の施策に振り回され、人々には、自己肯定感が無くなってしまうまでになった、と述べた言葉が印象に残っている。環境の危機とは精神の危機のことなのではないか。