今回我々は、15基の原発(そのうち2021年12月時点で4基稼働)を抱え、「原発銀座」ともしばしば表現される福井県の原子力発電所を訪れた。 12月と言えど暖かく晴天に恵まれ、敦賀を出発した我々は敦賀湾に沿って進み、敦賀火力発電所に迎え入れられた。
訪ねた敦賀原子力館の窓の向こうには、敦賀原子力発電所(日本原子力発電)が見えた。日本原電は、沖縄電力を除く電力各社が全体の8割を出資する会社で、東海村と敦賀に原発を持つ。
そのすぐ隣の敷地にあるのが、日本原子力研究開発機構の新型転換炉原型炉ふげんである。03年に運転を終了し、現在廃炉措置を行なっている。
同じく日本原子力研究開発機構の高速増殖炉もんじゅもまた、2016年に廃炉が決定されている。 MOX燃料を使用し、消費した量以上の燃料を生み出す高速増殖炉のための原型炉であるもんじゅは、1995年に、冷却材の金属ナトリウム漏洩と火災事故を起こし、一時隠蔽されたことから批判を浴び、その後再稼働直後の事故のため稼働できなくなった。液体ナトリウムの排出先をめぐって、2021年12月24日新たなニュースがもたらされた。
ふげんやもんじゅは、巨大エネルギーを人類が制御し、科学と教学の調和の上に立ち、人間の幸福に資することを願って、菩薩の名から付けられたが、3.11.以降には、仏教界の一部からからは、そうした命名に対する反省も見られるようである。
美浜原子力発電所は、関西電力の原発で、その一号機は、1970年の大阪万博に電気を送ったことで知られる。美浜原発に隣接する漁村で、夕暮れに海浜を泳いでいたカモが印象的だった。
夜、名物へしこを肴に酒を呑み、福井県のソウルフード・ソースかつ丼に舌鼓を打った。我々が出遭った若者は、再稼働そのものが遅すぎたのだと、現状を嘆いた。助成金がなくなったら、地元が立ち行かなかなくなるというのだ。
小浜湾に掛かる真っ赤な青戸の大橋を渡って、夏は海水浴客で賑わう海浜に到着し、そこから続く散策道を登って、大飯原子力発電所(関西電力)を遠くに見た。帰り際、前に動物(おそらくきつね)が、散策道を横切るのを一瞬目撃した。
関西電力が運営するエルガイアおおいでは、原発立地でよく見られる原子力エネルギーのPRだけでなく、人類にとってもはや欠かすことができないとされうるエネルギーの未来を宇宙大でSF的に捉えようとする特徴的な展示がなされていた。21世紀後半に宇宙空間に設置された発電所が体験できるスペキュラティヴな試みが印象深かった。脱・反原発とは言っても、では人類は電気なしでやっていけるのかという、カウンター的な問いが投げられているようにも思えた。
同じく関西電力の高浜原子力発電所は、現在1~4号機が現時点で全て稼働している原発である。21年11月に、3,4号機用にMOX燃料が運び込まれたニュースが記憶に新しい。車で回ってみると、原発の立地は、道路をくねくねと上がった先の自然の中にあり、移動中の事故が起きないかどうかが幾分心配であるように思われた。若狭湾岸にはカモメがたくさんいた。
高浜原発を目指していた我々は、とある農村の集落に迷い込んでしまった。そこには、イノシシの箱罠が仕掛けられ、獣害対策の電気柵が張り巡らされていたのが印象に残っている。
我々は、山の中に突如現れた高浜原発のフォルムの美しさに息を呑んだ。 それは圧倒的な佇まいで、そこにあった。異空間に迷い込んだようでもあった。
下北半島を訪ねた時もそうであったが、ニホンザルの集団を見かけた。原発は、豊かな自然と共存している。海と魚、美しい景観、動植物という豊かな生態系とともにある。
かくして我々は、舞鶴から京都に抜け、御室に仁和寺を訪ねた。鎌倉時代中期に院派仏師作とされる文殊菩薩像は、現在は、蔵に収められているという。六牙白象に乗る普賢十羅刹女像もまた所蔵されているという。
角幡唯介『極夜行』を読みながら帰京した。角幡は近代主義的な探検を懐疑し、人間の根源的な自然との関わりを求道的に探っていく。その歩みは、決して平坦なものではないように感じられるが、とても共感を覚える。暗闇か薄明が打ち続く極夜は恐ろしいものであり、人間とは本質的に、光を、電気を希求せねばならない存在なのであろうか。